20150629

石 見 銀 山



間歩と呼ばれる銀坑脈に沿った坑道


天然資源が乏しい日本のイメージとはあまりにも掛け離れている。 
戦国時代から江戸時代の最盛期には世界の銀の約1/3が日本で産出されていたという事実。
そしてこの石見銀山での産出量がそのかなりの割合を占めていたこと。
 
  


 

 
 

 
 



江戸幕府支配の後、明治期の産業遺産としての精錬所跡の姿
収銀湿式製錬法と呼ばれる方法で、最上段までトロッコで運ばれた鉱石を酸やアルカリ溶液で鉱石から銀を溶かした後に、銀を取り出した。 


DOWAホールディングスにより今の額にして数十億円を掛けて作られたこの精錬所は鉱石の品質や精錬能力の低さによって採算がとれずわずか一年半で創業を停止した。 
今は斜面に石の擁壁、八段の基壇が残るのみ。 森のなかに美しき廃墟。 


 


  

 
 


銀の採掘で賑わった大森の街並み。
日本で今まで見たことのない特徴的な色の統一感。 ヨーロッパのテラコッタ瓦を思わせる赤褐色。 でもあの素焼きとは全く違う質感。 出雲地方の来待石を粉砕し釉薬とした石州瓦だと知った。
木と白壁の日本の街並みに赤瓦。 今まで知らなかった日本。
  
 
  

 
 

 
  


 
島根まで来て・・・と言っては失礼だけど幹線は意外と交通量があってあまり楽しくない。 そして試しに幹線から外れてみたらほとんど山の中。
 
 
近代に至るまで銀の精錬のため大量の薪炭用木材が必要とされたが、石見銀山では適切な森林の管理がなされ環境への負荷の少なかった。 そして今日に至るまで銀山一帯には広葉樹などを含む森林が残されてきている点が世界遺産登録時に特に評価されたポイントだと知った。
 
 
この暗いトンネルを抜け、往時銀を運び出した日本海に面した港に下った。



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20150618

G Vario 14-140mm ASPH


 
 
  

   
  
 

  
  
   

  
 

   
 

 
  
  
 

  
  

  
 
 
  
 
 
  
 
 
  
  
 
  
 

  
  
   
   
  

  
 
 

  
  
   
  

 
  
 

  
 
 
  

一本君
28-280mm35mm換算)=所謂オールインワンレンズ
最小マイクロフォーサーズカメラに付ければレンズ込みでジャスト500g の小軽

色彩再生、周辺解像力、倍率色収差、 ・・・ そういう話面倒だからいいや。 
っていう人=わたくしには申し分のないもの
 
 
 

東京に来て20年になりますけど谷中銀座は初めて。
道端でビールケースに座って穴子寿司に大吟醸コップ酒とかできます ・・・・ ここいいとこ


 
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20150613

VERSUS



先の大震災では最大の被害を受けた街の一つ陸前高田市。
海から急激に高度を上げるリアス式海岸だから、ほんの少し内陸に入れば海沿いとはまるで違う時間が流れているかのように長閑な里山風景が広がっている。  陸前高田にも美しい里山は残っていた。
 
 
 
  
 

  
 
去年、今年とこの三陸を走り思うのは、明と暗。
ほんの少しの場所の違い、高さの違いで線を引いた様に ”0100 か” ほどの違いがある。
そして100 から0 を見下ろすと、すべてを奪い去られた土地はまだまだ復興の足音がかすかに聞こえる程度に見える。 
 
  


 
陸前高田市の元市街地方向に降りていく道。

 
正面、津波で奪われたまっさらな土地に巨大な建造物が作られているのが見えた。 
最初はあの希望をすべて奪われた広大な土地を使って、人が楽しむ場所すなわちジェットコースターや巨大滑り台を備えた巨大レジャーランドでも作っているのか? と・・・ でも、そんな噂は聞いたこともないしと、まるで何が作られているのか皆目わからなかった。 
  
 

   

 
  
  

  
   

  
  
 


海に面したところは衝立を建てるかのような工事がそこかしこで行われている。
そして、例のジェットコースターに近づいたとき度肝を抜かれた。 なんとジェットコースターに見えたのはベルトコンベアーである。 そのベルトコンベアーが何処に繋がっているかといえば山である。 海沿いの山を崩し高台の住宅地を作りそこで出た残土をベルトコンベアーで運び、海沿いに巨大堤防を築いているのだった・・・・
 
 

口があんぐり開いてしまった。
そこまでして、海の近くの高台に住まなければならない理由があるのか? 5kmも内陸に住めば済む話だし、車社会の田舎でその程度の距離が障害になるとも思えないが・・・ それより、海に面してそんな巨大な衝立を巡らせ、海も見えない街に誰が魅力を感じるのだろうか? 当然これはちょっと観光に来た人間の感想でしかないけど、住んでる人にとってはこれは正なのか?  



どこかの学者が机上で考えたことを、こんなことできるのは予算がたっぷりつく今しかないからやっちゃおうぜ感が半端ない。  もっとも、景気の下支えのためにも金をばらまきたいからやったのだろうから、その目的ははたせているのだろうが・・・

  
 

   
  
  

 
観光用の売り物”奇跡の一本松 ”が小さく見える。
そして、その手前には山からの土を運ぶ巨大ベルトコンベアー。 

 
 
なんだろ、 ”自然の力には勝てない” とあの当時は皆言っていたのに、時間がたってみると自然に対する謙虚さの欠片も見えない、あくまでも金を掛け、”地球にこんなことしていいの?” と思うようなヒューマンスケールを超えた復興工事のかたち。 そもそも先の震災は1000年に一度の規模の震災と言われるけど、この堤防1000年もつのか?

 
 
この地の人は故郷の地形の形すら変えてしまうような復興の形をどう思ってるのだろう? 自分の故郷でもないから知ったこっちゃないが、国が絡むと何故こうなるのか・・・こんなやり方しか無かったのか・・・と、なんだか寂しいような、虚しいような、そして何故か怒りのような気持ちまで湧いた。 あくまでも観光客目線だけど、今の姿も、そして巨大堤防が出来たあかつきにも、こんな街に何度も来たいって思うかなあ? 時間を掛けて作られてきた里山のような風景は季節を換え何度も見たいと思うけど、こんなふうに力任せにコチャコチャにしてしまったら何の情感も湧かない一度来たら十分な場所になってしまうんじゃないか?   実際強く思いました。 こんな想像もしなかった角度から切なくなるならもう来なくていいなって。  ダンプが走りまくり、路肩は砂利だらけで、2回もパンクしたことでかなり負のバイアスが掛かってはいたけど、それを除いても ・・・ 
 
 
 

   
  
   
  
  

 
ことしの陸前高田の姿は止めを刺してくれたけど、去年三陸を走った時点でこの震災の地を走ることがそれほど楽しいことではないことは分かっていた。 なのにわざわざ今年も来たのには理由がある。 それは愛してやまない広田湾の牡蠣を食すため。 

 
 
馴染みのとんかつ屋以外では東京築地でも広田の牡蠣は手に入れづらいそうでちょっとしたレストランでもそう簡単には食べられないのだけど、ここ越前高田の広田湾に来れば食べられる。  熱を加えても身が殆ど縮まない滋味深いすばらしい牡蠣。  牡蠣を育てるには海水のミネラルを左右する森から育てる必要がある。 この地では実際、森を守るため森の植林をしている水産業者が居ることもよく知られている。 自然を守るために時間を掛け震災後やっとのことで海の恵が得られている事を知るほど、インスタントに力で自然に対峙する復興事業の姿を見ると違和感を感じざるを得ない。
 


Related to:
http://feticizm.blogspot.jp/2014/06/north-up-sanriku.html  
http://feticizm.blogspot.jp/2014/12/oyster-perpetual.html
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20150609

Revenge






前は夕方になり津軽半島の付け根の西海岸鰺ヶ沢から輪行した。 その時車窓から見えた夕暮れ前の海沿いの景色が素晴らしかった。 そしてそこを走らなかったことが心にひっかかっていた。 行き先はこれまた入浴しなくて後悔した不老不死温泉である。



鰺ヶ沢といえば志村動物園で度々でてくるきくや商店の秋田犬”わさお” ってのがいる。
国道沿いに車が集っている場所があって気付いたのですが。
わさおにも嫁が来たとかで2匹並んでいた。 笑いながら迎えてくれたお父ちゃんと、マイペースに座ってるお母ちゃんって感じだ。  どうですこの顔。 私には殆ど人間にしか見えなかった。  



  
 
 

 
 
青森の県魚はヒラメ。 そして津軽半島から日本海側のヒラメの旬は春から初夏の時期と来た。 
また、都合がよろしいことにこの鰺ヶ沢のご当地丼がヒラメの漬け丼であった。 とは言っても海に面していてもそのすべての県に県魚があるわけではないが・・・
 
 
上の卵がプチプチの魚はハタハタ。 ハタハタとはよく聞くが・・・
魚卵としてはタラコのように小さくなく、イクラのように大きくもなく、実に中途半端で虫の卵のようだ。卵の殻は硬くてこんな気持ち悪い卵を食べたことがあるなら覚えているはず。 その記憶が無いのだから初めてに違いない。  でも、食べなきゃわからない。 旅というものは簡単に初体験を与えてくれる。





広い海岸線の岩礁に波しぶき。  桜でおなじみ弘前城で有名な弘前藩の殿様がこの景色を珍しがり実際に千畳畳を敷かせ大宴会を開いたとされるところ。 藩政時代には殿様専用の避暑地で庶民は近づけなかった場所。
 
 
 


 
 




 
日本海沿いの道。 並行してJR五能線が走っている。  
道すがら駅はいくつか見たけどピカイチで素敵な駅。 海にひときわ違い場所にある驫木駅(とどろきえき)。 ”馬”を三つ書くこの文字は海の瀬の音に馬も群れ鳴いたことからついた地名。 


下見板張りの小さな駅舎は64年前の1951年竣工。 一日わずか5往復の列車が停まる為の駅。
 
 
 
 
 
  
  
 
 

 
ずうーっとなにもない海岸線を走る贅沢な時間。 途中に芝に覆われた静かな岬があって、しばしベンチの上でウトウト寝こんでみたり。  この辺りは、そこかしこに夕日の方向を知るための夕焼け暦があって、どこもかしこも夕日スポットである。  夕日を何処で見るか? そんなことは決まってたけど、悩むふりして。

ここは、行合崎といって6月頃からニッコウキスゲの大群落が花を咲かせるそう。

 
 

 


 
前回は夏。 ここについた朝の時点で汗だくで温泉に浸かるのは気分的に無理だった。 でも後になって”二度と来れないかもしれないのになぜ入らなかったのか” と、とてつもなく後悔した。  やはり走り終わってこんな場所で汗を流して一日を終えるのがいいに決まってる。


  

  
 





温泉は塩っ辛くて鉄の香りが凄い温泉。  混浴露天は大阪のオバハンばかり。
そういえば、日本海側の吹浦は本マグロ漁の漁獲では青森で一番の漁獲高を誇ると聞いた。 
イカの漁獲高も青森は日本一である。  そんな感じの刺し身を摘みながら、一昨年のリベンジを果たした。



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