20120427

『 素 』



チタンの鈍い光、美しく揃ったビード。

そこに伝う泥のしずく。

ふと 「侘び寂び」 って言葉浮かぶ。

質素、簡素、つつましさが持つ趣

塗装やグロスの上じゃただの汚れにしか見えまい


The beauty to be found in frugality and simplicity. 

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Litespeed VORTEX 2001



02’ Tour d'Franceでマキュワンが駆ったタイプのVORTEX でノーマルヘッドチューブ。
すなわち2001年モデル。 できればNOS もしくはそれに近い物と言う条件でこの3年ほど探していた。
そしてアメリカのとある自転車屋でずっと壁に掛けられていたという代物に出会うことができた。 


マニアの方が、例えば時計なら製造時期によって針の形状微妙に違うとか、文字盤の仕上げが微かに違うとか、ちょっとした細部を取り上げ収集したりする。 
それと同じく? Litespeed も改良と称して毎年のように何処彼処と細部を変えるものだから、自分好みのディテールを取り上げその年度を探すのもなかなか乙な行為になり得る。  


・ フル6/4Ti
・ オーバーサイズヘッドチューブ。
・ ホリゾンタルジオメトリー。
2003年以降の極薄ダイアモンド形状になる前の丸ダウンチューブ。 
・ 非インテグラルヘッドチューブ。
・ エアロ形状断面になる前の細身のシートステー。


細かい理由をえば、DTが大径化した2003年モデル以降で自分のサイズだとTTDTがヘッド部で干渉し溶接トラブルが起きやすい。 現行ARCHONまで続くTTに関するLitespeed社の拘りを見ると異型TTの効果は期待できそう。 細身のシートステーを選ぶのは太くなった2004年型の涙型シートステーから細くなった2005年型で格段に乗り味が良くなっている点、そして昨今のカーボンバイクの細いシートステーを見るとこの部分は乗り味に大きな効果があリそうだから。 といったこと。 
この観点で絞ると、2000年、及び2001年のVORTEX しか選択の余地が無くなる。
これにマキュワンが乗ったタイプ(異型トップチューブ)とオプションを付ければ、『2001年モデル』と答えが出る (マキュワンタイプは2002年からのインテグラルヘッド)





箱から出したとき久しぶりにチョットばかり興奮した。 それは11年も前のフレームとは思えない綺麗なものだったから。
本当にずっと壁に掛かっていたのか?磨いてデカールを張り直したのか?事実は分からないが、後者だったとしてもちょっとした手間で新品のように生まれ変わるのだからチタンという素材はすばらしい。 おまけに下手な塗装もない素の地金色なのだから飽きも来ず、永久に楽しめる気すらする。
もっとも、乗る予定があって手に入れたわけでもなく床の間ならどんな素材のフレームでも永久に楽しめるわけですが・・・ 


ところで、最近フル6/4Ti フレームは消滅したの?と思うほど見ません。 イタリア辺りで手工業的に細々と板を丸めて作られているもの位でしょうか? 一番の大量生産者であっただろう Litespeed  が止めてしまったことが最大原因だろうけれど、MOOTS De Rosa6/4Tiモデルがカタログ落ちしているからReynolds がパイプの供給を止めているのでしょうか?  


とは言え、6/4Ti の何がいいのか?と聞かれても乗り味に3/25Ti との差異を特に見いだしたことはありません・・・、(6/4Ti の方が素材的に硬いと言っても、普通その分は肉薄化されて軽量化に回されますし)  過去の『6/4Ti はスペシャル』 と言うマーケティングの亡霊にいまだに憑かれているだけなのだと思います。


P.S. 1288g (w/o HS, seat binder, adjust barrel, bolts)


 
Related to:
http://feticizm.blogspot.jp/2012/12/lotto-adecco-litespeed-vortex.html
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20120425

TREE HOUSE ツリーハウス



樹間にはワイヤーが掛けられ滑車仕掛けのタイヤのロープウエイ遊び。
その奥にはアカシアの木を利用したツリーハウス。


何処の草原?って思いそうだけど、ここは多摩サイ登戸近くの土手のすぐ下。 こんな優雅な暮らしのブールーシートハウスがあるんかい。




私思うのですよ。 
朝も早くから汗だくで人混みの地下道を打ち合わせに向かっているとき、それを寝ころびながらパンなど囓りながら優雅に?見ている人がいる。  そして、庶民が35年ローンなんぞを組んで猫の額ほどのマンションを買って慎ましく暮らしているかと思えば、河川敷の広大な土地に勝手にツリーハウスなんぞを作ってガーデニングなとをしながら優雅に?暮らしている人がいる。


これじゃどっちが幸せか分からんなと。 
自分が何故だか守ろうとしている暮らしはそんなたいそうなものかと? 


話を聞けば、若者が庭?で焚き火なんぞをしてボヤ騒ぎになったり、勝手に家に入られたり、市役所から不法占拠で立ち退きを求めらるとか ・・・ それを苦労と呼べるのか?そういうのは絶えないらしいですけど 


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20120422

The Wicked Fuji



好きな場所。
春になると空のクリア感は冬のようには行かない。 


富士山を見に山に登る時は、いつも上る前にリアルタイムライブ富士画像をチェックする。
当然、雲掛かりの無い富士を確認して登り出したけれど、一時間後登り切った頃にはこうなっていた。 


こんなことは一度や二度ではない ・・・ いや、冬以外はむしろこのパターンのが殆どなのだから意地悪としか言いようがございません。


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20120419

SPEEDWELL TITALITE



世界初、商業ベースで作られたレース用チタンバイクフレームがSPEEDWELL TITALITEである。
1972年世界初の市販レース用チタンバイクフレームを作ると発表。
そして1973年にはフランスとイギリスでの販売にこぎ着け幸先よいスタートを切った。



同じく73年、TITALITEはツール・ド・フランスのこの年の覇者ルイス・オカニャ(Luis Ocaña によって駆られ世界で始めてレースに出場したチタンフレームでもある。  




が・・・・ この当時の画像とは思えない程鮮明な73’Tour d'France のオカニャの動画を見ると、オレンジ色の車体はどうもチタンフレームには見えない。 そして丁度545秒当たり、オカニャとそのバイクが鮮明に映し出され、車体にはMOTOBECANE の文字がはっきり確認出来る。


やはりこの当時、手に入れ得る最も軽量だったこのバイクは限定使用だったようだ。  TITALITEはツール・ド・フランスの前哨戦的位置付けのクリテリウム・デュ・ドフィネ(Critérium du Dauphiné)に持ち込まれテストされた結果、オカニャによってツールのいくつかの山岳ステージにおいてのみ使われることに決まったようである。 


ところで、この当時の画像を見て驚ろくのは、この後の時代にランスがLITESPEEDTREK の名を付けて走らせた様なことはなく、チームバイクであるMOTOBECANE のペイントに塗り換えもせず、チタン剥き出しのまま走っていた事。 まだ、商業的な権利関係が曖昧な長閑な時代だった様で隔世の感がある。  ちなみにこの時BICチームでオカニャをアシストしたのが今は煌めくシュレック兄弟の父親ジョニー・シュレックだったのだから文字通り隔世である。


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20120411

PINARELLO titanium

 
 
90年代にピナレロが限定で出したチタンフレーム。


以前リスペクタブルな知り合いのサイクリストがこれに乗っているのを見ていた。 その車体はデカールや塗装の痛みも激しかったけど、「レストアしないでこの姿で乗るのがいい」 と言うそのスタンスに共感していました。 そんなことからこのチタンフレームは頭の片隅にあり、あちこち覗いておりましたらまさにその車種がebayに出て来た。 







商品の説明を見るとこの車体は製造番号からピナレロが作ったチタンフレームの第1号車で、南フランスで嘗てピナレロディーラーをやっていたオーナーによってオーダーされたものとある。 その後はおそらく組まれることもなく眠っていたのだろう、エンドを見ても分かるとおりタイムカプセルから出てきたかのようなNOSである。


90年代と言えば、インデュラインがツールで5V を成し遂げ 、10 年で7 回もツール・ド・フランスを征したピナレロの黄金期。 車体にスポンサーである銀行Banesto の名を付けインデュラインが乗った名車ケラルライトが95年なのでピナレロがアルミへ完全にシフトする前の過渡期に作られたものなのだろう。  この後数年続くのプロの高出力にも応えるアルミ製レーシングロードバイクの潮流がピナレロから始まったことを思うと、ピナレロが一時期チタンを作っていたことが興味深い。 


後に姉妹車種のOPERAがチタンフレームを出していましたが、それとは全く違いこのPINARELLOのチタンは数もかなり少ない様です。 実際これが売りに出ているのは始めて見ましたし。
値段はBuy it now $4600、サイズは57cmと検討の余地が全くないお陰で気持ちを平穏に保つことができます。


Related tohttp://www.ebay.com/itm/160763507660
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20120410

Spring has come




土手を歩けば花が目の高さで花の中を歩くよう。 
土手に座れば花を目の高さで愛でながら花見。 


歩くのも花見も普通は木の下だから、花が目の高さというのははありそうで無い。 


木が小さかった頃は土手下の桜じゃ見栄えもしなかっただろうけど、今や立派に成長してすばらしい花の道。 花びらや木の葉は法面の芝の上に落ちて腐葉土になり、土手上の舗装部分は掃除する必要もない ・・・・ ちょっとしたことだけどよく考えられた植栽計画と思います。 


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20120408

ULYSSE NARDIN マリンクロノメーター



愛宕にあるNHK放送博物館 に参りましたら数十年前に使われていた時計が置いてあった。

放送局の標準時計として技術部に置かれていました。 0.5秒刻みで針が動くのでそれ以下は『勘』でよんでいました。

と説明にある。



ULYSSE NARDIN と言うメーカーの時計。
元々は航海用に使われたタイプで、ジンバルサポートで時計を水平に保つ機構が備えられている。
それが、NHKでも使われていたのは振動に強く、秒針が通常のものよりも大きく見やすいのがよかったのかもしれない。


このメーカーは船舶用クロノメーターの分野でほぼ独占状態になるほど成功し、日本海軍にも多数が納入された。  『坂の上の雲』 ですっかりお馴染みになったバルチック艦隊壊滅時の旗艦であった戦艦 『三笠』 にも搭載され、横須賀のみかさの艦内にも展示されている。






こういう歴史があるメーカーは、過去の伝説的なデザインをオマージュとして再現出来るわけで、歴史を知れば ULYSSE NARDIN マリンコレクションも特別のものに見えると言うもの?

  
現在日本ではあまり認知度が高くないメーカーだけれど、嘗てはナルダン型としてULYSSE NARDINのコピーと言えるキャリパーを作ったこともある程影響を受け、真似をしたメーカーが精工舎SEIKOである。


Related to:
http://feticizm.blogspot.jp/2013/08/ulysse-nardin-of-90-years-old.html
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20120405

PMP Titanium Seatpost



イタリアンブランドのチタンシートポストと言えば、カンパ亡き後小さな工房モノ以外じゃSELCOF かこのPMP 位になってしまった。
PMP のシートポストを手にしたのは二度目。 前回6~7 年前に買った製品は酷くてヤグラのサドル角度調整幅が極端に小さくシート角74°位じゃ前上がりにしか調整できず 「蟻の途渡が痛い」 と言って店に突っ返した。



   

  

さすがにイタリア人でも角度調整出来ないシートポストはマズイと気づいたか?  前方にある角度を調整する為の支点となるボルトを受ける♀部分が可動式の臼に改良され角度調整範囲がグンと広がり改良されていた。 (新旧ポスト via silbest.bloghttp://blog-imgs-41.fc2.com/c/l/u/clubsilbest/20070601133343.jpg) 
更にこの最新のモデルではヤグラの肉抜きが増えたばかりかアルマイト加工され色まで選べるようになっている。  ただ、残念ながらその改良は角度の調整のし安さにまで及んでおらず、トライ&エラーで角度調整しなければならない点は変わってないが・・・





27.2φ , 270mm , 190g


『シャカリキ』 の主人公・野々村輝のモデルにもなったクラウディオ・キャプッチ(Claudio Chiappucci)が愛用していたことでストーリー的には申し分ないんだけれど、チタンチューブに接着剤でアルミのヤグラが付けられているだけなので、チタンのTIGビード好きにはちょっと物足りないかもしれません。



 Related to  http://feticizm.blogspot.com/2011/08/kent-eriksen-post-cramp.html
           http://feticizm.blogspot.com/2011/05/titanium-seatpost.html
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20120403

ドバイの先見性



Dubai International Airport (『Dubai Duty free3年連続最大の空港小売店に輝いた』とある)
ハブ空港と聞いても 「ハブ的なでしょ」 と分かったような気になっていたけど想像以上でした。 なんとこの写真を撮った時間は午前2時。 この夜中にこれだけの人が蠢きこの空港内は人種の坩堝と化していて、これが24時間営業のハブ空港というものかと圧倒されました。


翻って日本に帰国した時の空港の寂しいこと。 夕方も3 時を過ぎると成田も閑散としだし、更に関西国際空港に至っては駐機場に飛行機が5機も並んでいればいいところ。 何ら将来のビジョンも提示されないまま地方に小さな空港や、くだらない箱物を作ってばらまいている間に日本はすっかり世界から取り残されたのだと実感します。




空港も凄いけれど、椰子の木を型どった人工島(パームジュメイラ)、世界一のビル(ブルジュ・カリファ)、世界一豪華なホテル(ブルジュ・アル・アラブ)、世界最大のショッピングモール(ドバイ・モール) ・・・ 日本人的にはバブルと一言で片付けそうになるが、そのスケール感は並外れていて世界中から人を呼び、金を呼び込むことに成功している。


『オイルマネーが潤沢にある国だからできた』 と思うかもしれないがさにあらず。
ドバイは石油資源に恵まれておらずGDPに占める石油の割合はわずか2%で、天然資源に頼らない発展を掲げたドバイ首長の先見性によって現在の繁栄がある。 経済特区を設け無税にし海外企業を誘致し、物流、金融、観光基地を目指し 「人類史上,最も短期間に都市化が進んだ場所」 と評する声があるほど急速な発展を遂げている。 ドバイ・ショックで見直された常識はずれの計画もあまたあるようだが、街を見るかぎり活気に満ち溢れている。 





30年程前まで細々と真珠養殖と漁業をしていた国。 石油もない、工業技術もない、観光と言っても夏は50℃にもなる砂漠気候が観光に向いているとも思えない。 そのような国に海外から人、モノ、金を集めることが出来ていることは驚きに値する。


砂漠で土地代が掛からないとか、他アラブの産油国のクレジットもあるので日本と同じには語れないけれど、ものづくりに無駄に拘わり、価格競争に疲弊し、弱り切った日本にも見習う点が多数あるに違いない。


僅か一泊。 初めてのドバイは刺激的だった。



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20120402

WIN THIS LUXURY CAR ドバイ空港にて



Bentley Continental Flying Spur Speed  610HP, 最高速度326km/h0-100km/h:4.5秒 
看板には WIN THIS LUXURY CAR とあって一枚Dhs500¥11500)のクジを買うと2000枚に1枚の確率でこの車が当たるのですよ。 おまけに世界中どこにでも届けてくれます。


これには思わず仰け反ってしまいました。
一枚 ¥115002000 枚だと売上2300万円に対してこの車の日本での定価は2600万円  
すなわちクジの還元率は100%以上、送料を含めればmore&more



と、ここで思い浮かぶ。 
本気で日本でこのベントレーを2600万円で買う気があるのならクジを買いあされば最多額でも2300万円で買うことができるんじゃない?(なんてこのクラスの車を買う人は考えませんか、そうですか。) 


ベントレーは手に余るという方もご安心を。 
ドバイ空港に降り立つと空港内には様々な高級車が同様に展示してあって、例えばPORSCHEBENZ, BMW の場合だと還元率を合わせるために?同じ一枚Dhs500¥11500)のクジで当選は1000枚に 1枚になり、あたる確立は2倍になる。  


ちなみに夢の3億円だとか言って沢山の人が並ぶ日本の宝くじの還元率はわずか46%
確かにこれじゃ夢のままな気がする。


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